まる。の日記

高校中退17歳♀の独り言です。

雑なこと

アニメの実写化でよく「またこの俳優かーい!」となることがありますが、恋愛映画とかでもそういうこと多いですよね。役者の使い回し。

 

もともとは私たちは「消費者」であるはずなのに、役者の使い回しを見ているとどっちが消費しているのかわからなくなります。あぁこの若い俳優さん使いまわされてるなぁ消費されてるなぁ消えるんだろうなぁと思ってしまったり。

 

ふと、アニメの声優さんなんかは使い回しが激しいのでは?と思い。でも消費されてる感がないのはなぜだろうと思い。俳優同様「またこの声優かよ!」と思われそうなものなのになぜそう思われないんだーー?うーーんうむむむ。俳優と比べ声優さんは母体数が非常に少ないのになぜだろうと。

ファンの入れ替えが非常に激しいのかな?と予想しまして。私は小6でアニメにハマって17歳の今はだいぶアニメ文化から抜け出してます。アニメ文化はこの年代が結構な数を占めているようにも感じます。どんどん下から新しい子が入ってきて、その子たちからしたらどんな声優さんも新しく思え、そして高校生の受験期にアニメ文化卒業、という流れ。少なくはないのでは、と思います。

まあ、雑な考えですけど。

 

アニメというのはとても閉じた文化だなぁと思っていて。ファン自体も他の文化が入ってくるのを異様に毛嫌いしたりだとか。日本でのアニメのあり方は海外のアニメと全然違ったり。もともと絶対的な上限が存在するように感じます。

アニメ文化に限界があるのと同時にどうしても声優というにも限界があって。

俳優さんは3次元、声優さんは2.5次元なんて言いますよね。次元は下げることはできるんです。俳優さんが声優やったり本書いたりは多く聞きます。でもその逆で声優さんが映画に出たりとかは、まだあまり聞かない話です。事務所の方針だとかそういうものありますが、俳優や女優はもうたくさんいて、体で演じるという訓練を十分受けた方がたくさんいて、それでも声優さんを起用しようというのは商売的にあまり自然でないように思いますし、実際に聞いたことがないです。話題性はありそうですけど。

 

アニメ自体は、あまり変化に乏しいというか、恒常性というのかなんというのか、まあ商売として成り立ってるからそれで良いのかなぁというか。オタク文化はバーチャルだとかゲームだとかどんどん変化して増えていますが、アニメ自体は何年も変わっていないような。学園スモノ、ホラー系、ファンタジー、日常などなど。一つ一つ大事に作られていて素晴らしい作品ですが、遠方から見たら過去に似た作品あるなぁなんてことありますよね。

 

これは他の文化にも言えることで。バラエティやドラマや映画なども、「またこれかい!」というのはよくあります。消費される文化っていうのがどうしても存在してしまうのかなぁ〜と思います。これは良い悪いではなく、商売なんだと考えれば自然なことなんですけど。

 

商売としてのアニメや映画やバラエティやドラマと、作品としてのそれと。全然別物として考えてしまった方が良いのかもしれないなぁと思いました。ただ、アニメにはその作品としてのという面は本当にあるのかなぁって思ってしまいます。まあ、日本だけの独自の文化だし閉じきってるし....母体数が少ないからというのもあり....うーーーーんって感じ。

声優さんの使い回しも、俳優女優の使い回しも、アニメ文化も、入れ替わりの激しいファン層も、消費される文化も、まあ、起きうることかぁふーんって感じです。

 

むずかしーーい。むずかしむずかしー。